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きっと言葉に見放されてる

『ルックバック』メッセージは読者の知性に任せられた。(20代女性)

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読みながら思い出したのは、『Don't Look Back In Anger』でも、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でもなく、『ボヘミアンラプソディ』だった。この映画が公開された当時、就活中だった私は「フレディ・マーキュリーの苦しみの上澄みだけを取って並べたのだから、そりゃ泣きますし、感動はしますが、でも、本質的にはインスタ映えと変わらないですよね」と話したら、面接官に「君、ひねくれてるね」と呆れられたことがある。

 

まあ実際ひねくれていたと思う。分かりやすいメッセージ性を求める意地悪さよ。メッセージを勝手に感じ取れない私の感性が悪いのかもしれない。そもそも絶対に何か言わなきゃいけないのか。美に圧倒されるだけじゃダメか。それは美というメッセージになるんじゃないのか。

インスタ映えは、パッと見た時の第一印象であり、皆がいいねと思ったものが正解だ。今はいいね数の非表示機能もあるけど。『ボヘミアン・ラプソディ』もダイジェストでお送りしている点では同じかもしれない。でも、インスタ映えは反射的思考で、『ボヘミアン・ラプソディ」は反省的思考という違いがある。インスタ映えという概念にはメッセージがない。

 

 

『ルックバック』を読んだ私は、アタマより先にカラダが動いた。胸の上のあたりがカッと熱くなって、ぼろぼろこぼれていく涙が止まらなかった。考えるより早く意味を理解できてしまう作品だ。考察をするのは野暮という話でもあるが、一応無理やりそのメッセージ性について考えてみる。

 

ある事柄によって人生はごく簡単に変わるが、それがなくとも、また違う事柄によって変わっていたかもしれない。良くも悪くも。だから、過去のことに心乱されるだけならもうやめよう、ということ。「執着」によって事件を起こす犯人、「執着」によって人生の山場を乗り越えてきた主人公。「執着」を含めた感情の使い方は、その人の力量次第で諸刃の剣になりうる、ということ。

 

ネット上で、ただエモいだけの作品だという批判があることを知った。たしかに、登場人物の表情の機微を使った心理描写や、畳みかけるような厚みのあるコマ割り(あるいは風景の切り取り)で、十分にエモさが醸し出されている。漫画が立体的に見えるという数少ない経験だった。

ということを踏まえて。そもそもエモ自体、皆が感覚的に捉えているだけで、意味がないことなんてないんじゃないだろうか。理屈なんて後からいくらでも考えうる。理屈から考えて、初めて成り立つものの方が少ない気がするな。それとも、エモのインスタントに消費を続ける側の問題か。でも、生産者が意図があってやったかなんて、何においても分かりきらないよな。

 

映画的な表現」という意見もあった。たしかに、読み切り漫画でこういった時間軸の使い方をしている作品はあまり見ない気もする。『エターナル・サンシャインみたいだと思った。映画にあまりにも詳しくないので、もしかしたらもっと適切な喩えがあるのかもしれないけど。

そして、何かメッセージを伝えるために、意図を持って構成がなされているのだろうから、上記のような「エモ消費」で終わらせるにはもったいない。メッセージは今、読者の知性に任せられた。読んで何かを感じるも感じないも自分の自由だ。この解放感は気持ち良い。

 

p.s.気になっていること。「あんた」と「アンタ」の表記ゆれが気になる。何か意図がある?作者の癖?