カレーショップは私の味方だと主張する20代OL
中心街から数駅、
うまーーーい!モーレツに感動した。これ、ほぼ無職みたいなフリーターの友達の家で、
一口目は甘い。その後はほんまにちょっとだけ辛い。それが食欲をそそる。水もガブガブ飲んでしまった。ただの水をこんなに美味く感じさせるカレー、すごい。何か色んな味がするけど、何が入ってるんか全然想像つかん。
何かしらのバランスを取るために、流行りのカフェに入った。私のこのカラダは、紛れもなく20代OLのものだ。忘れてはならぬ。人間は社会的な存在なのだと。私が20代OLとして平然として生きていくためには、「休日はカフェ巡り」という“普通”をカラダに入れ込むしかない。別にこういうカフェが嫌いとかじゃないけど。社会にチューニングを合わせていかなきゃいけないって息苦しいね。カレーショップはちゃんと私の味方なのに、社会は簡単に私を切り捨てるからな。これからも20代OLの“ようなもの”として強く生きていくのだ。
(食っちゃった)ラーメンの味は覚えてない20代OL
一人でカラオケに籠っていた大学時代。締めは絶対にタンポポの『恋をしちゃいました!』だった。めちゃくちゃ元気よくイントロで飛び跳ね、めちゃくちゃ元気よく手を振り回しながら、詞を一行一行歌い進めることに、恋の素晴らしさを実感して涙を流していた。完全に情緒暴れん坊将軍だ。一歩間違えたら、何かしらの変態として捕まっていたかもしれない。でも今つんくのライナーノーツを見てみたら、「結果、ゴリゴリの音にのせて、かわいい部分もあるけど、なぜか泣けてくる、そんな仕上がりになりました」ってあった。合ってたんや。
ラーメンを食べました(食っちゃった)
衝撃的だった。2ヶ月メル友して原宿で初デートなのにラーメン食べるの?っていう。気取ってない感じが良いよね。「そろそろご飯食べよっか」って話になって、何気なく入っただけやから。夫婦で切り盛りしている町中華で、カウンター6席と4人掛けのテーブル2席しかないような小ぢんまりとした店。隣り合って座るのは気恥ずかしいから、テーブル席を選ぶねん。
しょうゆラーメン一杯ずつ頼んで、壁にかかっているメニューの話なんかをしながら待つ。ラーメンが出てきたら、湯気と一緒に立ち上がるスープの香りに嬉しくなる。二人とも手を合わせて「いただきます」をして。フ~フ~しながらちぢれ麵を啜る。ラーメンって時間勝負やから、案外会話なくなるよな。ただ「美味しいね」って言い合うだけで良いんやけど。初デートでラーメン屋、激渋やね。たまらんち。
緊張で覚えてないよ
やって。カワイイ~。まろやかで澄んだしょうゆスープも沁み沁みで美味しかったのにね!
最後の晩餐について思い倦ねる20代OL
地球滅亡が確定したそのとき、私は最後の晩餐に何を食べるだろうか。これまでの短い人生で食べて来たものを思い返してみる。絶対に炭水化物を食べたいな。ほんでやっぱ肉やな。胃もたれとか関係ないし。明日も未来も考えずにごはんを食べられるのは、最後の晩餐だからこその贅沢やね。
最後の晩餐は、やっぱラーメンかな。ラーメンバイトで毎回2杯もまかないを食べていたからね。もちろんチャーライ(オムライス炒飯)がメイン。大盛にしちゃお。高校生の頃から親しんでいるこの味。ガツンと濃い味付けの炒飯を、とろ~っとした卵が包み込む感じ。たまらん。大人になってからは、黒ビールもつけるようになった。普段は「ビールと言えば黒ラベルでしょ」を再三主張し続けている私も、チャーライと黒ビールの相性の良さには感服いたした。いや~でも、こんな「生きている心地」がするものを食べてしまったら、「もっと生きたかった」と欲深くなってしまうかもしれないな。
「10回食べると天国に行けるホルモン」と20代OL(私)が豪語するネリガエシ。たまに寄る居酒屋バーでたまに出る。店主が毎日買い付けてきているので、ない日もある。はじめに大学の先輩に連れて行ってもらってからもう3年経つか。このバーには好きな女たちを連行し、暗~い話をしながらネリガエシをつつくのだ。つまり、このネリガエシを最後の晩餐とするならば、そういった条件が必要となる。私は最後の晩餐を友と過ごすのか。現実的に難しい話だ。また、最後の日に酒を飲むのかどうかという観点も大切である。酒を飲めば、ごはんは酒に合わせた濃い目の味付けにしないといけない。最後の晩餐の主役たるごはんがそんな扱いを受けることについては、遺憾の意を表したい。しかし、最後をシラフで迎えるのも味気ない。これは非常に悩ましい問題だ。
一度だけ行ったことのある、山の上にぽつんとあるピザ屋。これ、最後の晩餐として正解かもしれない。なぜなら明日のことを、現実のことを忘れられるから。モチモチした生地に、融合する具材たち。この窯焼きピザは、私がこれまでに食べていたピザとは全く違った。やっと「本物」に出会えた。そんな感覚だ。木々が揺れる音や鳥の鳴き声を聴きながら、夜景に浮かぶ街の灯りに思いを馳せる。そんな夜があってもいい。そんな夜が最後の晩餐だったら良い。うん、そうしよう。